2020-11-17 第203回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号
そういう方々が、例えば、地元のお祭りの団体であったり、青年団、壮年団であったり、子供会であったり、PTAであったり、もう一人何役もされておられる状況です。 こういった厳しい状況の中で、やはり自分たちが地域のきずなの象徴だという思いを持って頑張っておられる方がたくさんおられますので、これは、防災、減災という観点から、大臣、何とかしてほしいと思うんですが、いかがでしょうか。
そういう方々が、例えば、地元のお祭りの団体であったり、青年団、壮年団であったり、子供会であったり、PTAであったり、もう一人何役もされておられる状況です。 こういった厳しい状況の中で、やはり自分たちが地域のきずなの象徴だという思いを持って頑張っておられる方がたくさんおられますので、これは、防災、減災という観点から、大臣、何とかしてほしいと思うんですが、いかがでしょうか。
厚生大臣代理は御承知かどうかわからぬが、大政翼賛会とか翼賛壮年団というのが当時あったのです。それも義勇隊に変える。すべての警防団その他も義勇隊に変える。こういうことがあったわけですが、そういう義勇隊編成になったということの実態を把握しないで、この援護法ができておるのではないか。こういうことを調べてみると、これはなかなかたいへんな問題ですが、そういうふうに思うわけです。
これは軍の強力な要請によりましてやったので、大政翼賛会や翼賛壮年団や町内会、隣組、学校から青年団組織を全部国民義勇隊に改編いたしまして軍の指揮下に置いて戦闘組織をつくる、吊りいうのが趣旨であります。その一つといたしまして援護の対象となっております国民義勇隊と警防団とを同一にいたしまして運営をしたというふうな文書が、ここに残っておるわけです。
○倉地証人 私は朝日新聞時代に、翼賛会及び翼質政治会の記者クラブに籍を置いておりましたが、最初翼賛会の記者クラブにおりましたころに、藤井さんがたしか実践局長ではなかったかと思いまするが、あるいは間違っておりますれば翼賛壮年団のほうかもしれません。おいでになりまして、その御招待がありまして、その席で初めて面接したわけであります。
内地におります間に大政翼賛会及び翼賛壮年団におりました。昭和十七年から十九年募れの最後の応召の間に日本出版会に勤務いたし、終戦後は追放生活を送りまして、二十八年三月、現在の社団法人教科書協会の発足と同時にその常務理事に就任して、事務局長を兼ねて今日に至っております。なお、二つほどの私立大学で教育学の講義をいたしております。
これは戦時中にあなたが指揮命令をとられた翼賛青年団、翼賛壮年団と同じ考え方であるということを、私はいま一度申し上げておかざるを得ないのであります。 次に、組合論を離れて、大臣にお尋ねをいたしたいのは、一体五十三万のわが日本の教員たち、先生たちは何を考えておるか。教師としての先生の本来の希望は一体何であるか。ひとつ大臣のお考えを承りたいと思います。
終戦後、空襲のために荒廃の極に達したるところの皇居内を、汗を流して、自発的に尊い勤労の奉仕によつて清掃してあげたいという、純な天皇敬愛の精神の上より全国民が、あるいは青年団、あるいは壮年団、あるいは婦人の団体等々がここ数年来勤労奉仕をされており、涙ぐましい光景を見せつけられておるのであります。
申すまでもなく、公職追放は、日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたものの権力及び勢力を永久に除去すべしというポツダム宣言の條項に基いてなされたもでありまするが、市町村における形式的追放該当者の大半は、国民を欺瞞したのではなく、かえつて戰時中の為政者に欺瞞されて、地方の翼賛会や翼賛壮年団等の支部長に名を連ねさせられたにすぎないのであります。